2013年9月30日月曜日

この本は

元から身体の中にあった

ぐにゃぐにゃで
黒光りするナイフで

胸の本当に奥のほうをかき乱される感じのする

恐れの塊のようなもの。

いっつもこの人には乱される。
それが自然なんだけど。

2013年7月7日日曜日

自分を客観視

〝自分”を客観視なんて出来ない。


そんなので自分を覗けるかって、出来ないです。
つまりは人から見て自分がどう思われているか考えろってこと。
いったいそんなの誰が出来るの?
僕は出来ません。

自分の感情を外にやってみたふりをして自分を見てるようなふりは出来るけど、
相手がどう思ってるかなんてわかりません。

想像の範疇を越えないものをあたかもそれがあるような風に僕は語れないです。

2013年6月30日日曜日

全てが暇つぶし

最近全てが暇つぶしのようにしか思えない。

本読むこと、運動すること、
酒飲むこと、遊ぶこと、

そう全てが。

目も半分しか開いていない。
だってじぶんは今半分しかないから。

埋まらないものを埋めようと暇つぶし。

けど思うと別に埋めようともしてはいない。ただいたずらに空間を感じているだけ。
別に半分なら半分でいいか。って思ってる。
1人で1人前にはなれないのはわかってるから。

問題?
は特にない。

どうせ自分に嘘はつけないから。

だからこのままで良い。
そう、このままで。

けど…けどさ。

あの時の自分、つまり一人前だったときの自分を今の自分以上に楽しんでいたのは事実。

あんな風にもう一度なりたいって思ってるのも事実。

これも嘘はつけない。

じゃあ、どうしたいの?


半分を楽しむ余裕はある、
一人前になりたがる気持ちもある。

…いや、分かってる。
本当は一人前になりたがってるんだよ。

けど、もう一度と思って本音をぶつけても無視され、他で満たそうとしてやっぱり足りたく、楽しくなく。

もう、何をするのもめんどくさくなっちゃったんだよ。

もう、疲れた。って感じたから、半分を、空っぽを楽しもうと心を操作してるんだよ。

今はね、正直言ってなかなか前を向けない。
進んでいるようで、ある一つの過去を支点に杭を刺しそこから紐を伸ばして腰につけ、ぐるぐる回っているだけ。

前に進んでいるようでただぐるぐるおんなじところを回っているだけ。

気づいてしまったー
ある意味その紐を切らないことで、自分を保ってたんだね。

たぶん切ったら、まぁ今はまだ切れないでしょうが、今までの遠心力にぶっとばされて自分を見失うでしょう。命綱切れて宇宙空間に1人放り出されたように。

僕は人が思っている以上に、そして自分が思っていた以上に、依存してました。

一匹狼を演じてるだけで心は兎でした。

本当はただの不器用なのかもね。


とまぁ、だいぶ自分の心の奥を探ってみたけど、自分の嫌なとこ、かっこ悪いとこ、出してみたけど、

自分のこと嫌いではないんだよな笑

そんな弱い部分、かっこ悪い部分も含め自分です。

正直に言います。
僕は好きと思える人がいないとやる気がまさに半減してしまう、恋が活力になるタイプの人間です!
だっさいけど、そうですから笑

けど、なかなか人を好きにならないから厄介なんだけどなあ笑

まぁ、そのうちいい人いますよ。

それまで、何かを退屈だと思うことたくさんあるだろうけど、それもそれで楽しみましょ。

なんか文章が右往左往してしまいましたが、それはきっと僕の心情を表してます。

もし読んでる人いたらお目汚ししてすいません!

こんなんいっぱいぐちゃぐちゃに考えながら、今を生きています。



2013年2月11日月曜日

自分は

型にはめるのが苦手

型を作るのが得意

たぶん

1〜10にするのは苦手で

0〜1にするのは得意。

早く自分の仕事つくりたい!
今は何にも出来ないけどすぐに、絶対すぐに創る。

じゃないと楽しくないし、
かつ自分が生きないという、危機感がある。

2013年1月18日金曜日

会社

会社のこと勉強してみて思った。

「会社」ってのはなんて機能的かつ効率的なんだろうって。

別にうちの会社がすごいとか言ってるわけじゃなく、この会社という制度?システム?自体がすごいと言いたい。

自分が与えられた仕事は本気でやるとかよく聞くけど、
案外それを本気でやることで、知らず知らずのうちに会社というものの全体像が把握でき(勿論自ら学ぶ姿勢はいるが)、そして大きな歯車を回してるんだなと。

ほんとに会社ってのは精密な機械時計と同じで、一つのパーツパーツに無意味さがない。
そりゃ無駄な動きが多すぎたり、もしくは一つの歯車がガチガチに錆びてたりしたら、それは効率的とは言い難いけど、

基本的にきっちり整備してあげれば、そして一つ一つの歯車がそれぞれ自己メンテを行い、周りとの協調を考えベストを尽くせればこんな最強のシステムはない。

全体像見えるとわくわくするな。

今は小さな歯車…いや歯車にもなれてないけど、
いつかは機械時計を作って行く立場になりたい。一から組み立てて楽しみたい。

そんなことをふと思いました。

2013年1月6日日曜日

先ほどの投稿を読んで

仕事で感じたことをプライベートで同じように感じたり。

プライベートで感じたことを仕事で同じように感じたり。

その二つは明確に分けられがちだけど、ほとんど一緒なわけで。

そりゃ感じてる人間は俺一人なんだし当たり前か。

オンオフがカチッカチッと切り替わるスイッチがあったとしたら

俺のスイッチはどちらにも“オン”って字が書いてるんだろな。
しかも電気系統も全く同じで、ほんと形だけのスイッチがあるような感じ。

そんなんだからさっきのブログのような文章が出てくるんだな。

衛藤は興味深いね。

一歩進んで二歩下がる

人がどう思おうが俺は俺の思った通り、良いと感じたようにやる!

こんな自分はどこへやら。

例えばTwitterに何か一言投稿しようにも、どう思われるか考えてしまうようになった。

客観視?を自然とするようになった。

これが良いか悪いか。

そんな議論になると
普通は良いという判断になるのかもしれない。(この場合の普通って何?っていう議論はひとまず置いといて)

けど、なんだか自分が萎縮してると思わざるを得ない。

過去のブログにも似たようなことを書いてる。

それはきっと自分が小さくなってるという危機感を社会人になってから常に感じているからだと思う。

けれど、やりたいようにやってきたことで何人かの大事な人を傷つけてしまったのも事実。

ただ、それは客観視?して初めて気づいたってのも事実。

二つの事実が前後にあって、前にも後ろにも進めなくなっている。

一歩進んで二歩下がる

そうすれば両方に触れることが出来んのかな?

今まで通り思った通り、ガッと大きく一歩前に進んで
スッと後ろに二歩分身を引いて進んだ自分を見る。

そんな進み方を考えて行かないとね。