2013年1月18日金曜日

会社

会社のこと勉強してみて思った。

「会社」ってのはなんて機能的かつ効率的なんだろうって。

別にうちの会社がすごいとか言ってるわけじゃなく、この会社という制度?システム?自体がすごいと言いたい。

自分が与えられた仕事は本気でやるとかよく聞くけど、
案外それを本気でやることで、知らず知らずのうちに会社というものの全体像が把握でき(勿論自ら学ぶ姿勢はいるが)、そして大きな歯車を回してるんだなと。

ほんとに会社ってのは精密な機械時計と同じで、一つのパーツパーツに無意味さがない。
そりゃ無駄な動きが多すぎたり、もしくは一つの歯車がガチガチに錆びてたりしたら、それは効率的とは言い難いけど、

基本的にきっちり整備してあげれば、そして一つ一つの歯車がそれぞれ自己メンテを行い、周りとの協調を考えベストを尽くせればこんな最強のシステムはない。

全体像見えるとわくわくするな。

今は小さな歯車…いや歯車にもなれてないけど、
いつかは機械時計を作って行く立場になりたい。一から組み立てて楽しみたい。

そんなことをふと思いました。

2013年1月6日日曜日

先ほどの投稿を読んで

仕事で感じたことをプライベートで同じように感じたり。

プライベートで感じたことを仕事で同じように感じたり。

その二つは明確に分けられがちだけど、ほとんど一緒なわけで。

そりゃ感じてる人間は俺一人なんだし当たり前か。

オンオフがカチッカチッと切り替わるスイッチがあったとしたら

俺のスイッチはどちらにも“オン”って字が書いてるんだろな。
しかも電気系統も全く同じで、ほんと形だけのスイッチがあるような感じ。

そんなんだからさっきのブログのような文章が出てくるんだな。

衛藤は興味深いね。

一歩進んで二歩下がる

人がどう思おうが俺は俺の思った通り、良いと感じたようにやる!

こんな自分はどこへやら。

例えばTwitterに何か一言投稿しようにも、どう思われるか考えてしまうようになった。

客観視?を自然とするようになった。

これが良いか悪いか。

そんな議論になると
普通は良いという判断になるのかもしれない。(この場合の普通って何?っていう議論はひとまず置いといて)

けど、なんだか自分が萎縮してると思わざるを得ない。

過去のブログにも似たようなことを書いてる。

それはきっと自分が小さくなってるという危機感を社会人になってから常に感じているからだと思う。

けれど、やりたいようにやってきたことで何人かの大事な人を傷つけてしまったのも事実。

ただ、それは客観視?して初めて気づいたってのも事実。

二つの事実が前後にあって、前にも後ろにも進めなくなっている。

一歩進んで二歩下がる

そうすれば両方に触れることが出来んのかな?

今まで通り思った通り、ガッと大きく一歩前に進んで
スッと後ろに二歩分身を引いて進んだ自分を見る。

そんな進み方を考えて行かないとね。