寝る間を惜しんで熱中したことは?
なんだろう。
小中学生のときは実は勉強だった。
テスト前は本当に夜遅くまでやってた。
結果としてテストは全て90点以上、中学3年のときは通信簿オール5。
ただ、高校受験は当日緊張しすぎて第一志望不合格。
経験が足りなかったなぁと。
田舎の中学すぎて(笑)、あと塾も田舎で(笑)、
ちょっとだけ都会の高校の重圧に耐えられなかった感じがする。
勉強する原動力はなんだったのか。
好奇心、負けたくない感は勿論あったけどそれだけじゃなかった。
やった分結果が出ることへの満足感と、
逆を言うとやらなければ結果が出ない恐怖感。
こっちが意外とメイン。
やったことへの結果のコミットメント感覚。
これが実は一番。
その中でもプラス的な満足感より、どちらかと言うとマイナス的な
「やらなければ結果が出ない」という恐怖感に縛られていた。
ただ、一件マイナスなようで、気持ちとしてはそんなにマイナス的な感覚はなく、
結構前向きにやっていた。
この根底にあるのは、
褒められたいとか、周りに勝ちたいという気持ちではなく、そうだ、
自分に全ての責任があるという感覚。
そっか、昔からこんなんだったんだ。
今でも結果は全て自分の責任と感じているところがある。
小さなときからそう感じていたようだ。
一旦図に起こしておく。
---<図>----------------------------
勉強に熱中
↓なぜ?
結果のコミットメント感覚に満足感と恐怖感
↓なぜそれを感じるの?
自分にすべての責任を置いている
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この小中学生の時期は他にもいろいろと夢中になっていた。
小学生の文化祭では、劇の脚本を勝手に書いて先生に渡し、
実際に劇にした。
中学の文化祭では体育館のステージでウォーターボーイズをすることになり、
振り付けは自分で考えて監督を務めた。
小中ともに体育祭の応援団で団長、副団長になり、
振付、配置決め、指導などほぼ全て自分でとりしきった。
共通して言えることは、
責任のあるポジションにずっといたということ。
高校時代は?
正直、勉強はそこまで夢中でなくなった。
ただ共通して、応援団でしきりをしたり、学級委員長を歴任したり、
文化祭でも文化祭委員長になった。
ただ正直一番はまったのは恋愛(笑)
ここで性を知ってしまうと(笑)
歯止めが効かず、まっしぐら。
いろんなことに一喜一憂出来て、なんだか人間的な幅が広がったなと。
そして大学生。
初めてバイトしてお金をもらうようになる。
バイトに熱中ということは無いけど、
お金を稼げるという喜びは得られた。
そのおかげで洋服とか家具とか家電とか良いものを買えるようになり、センスが一気に上がった。
また、やっぱりアカペラ。
大学4年間はほぼアカペラに関わるライフサイクル。
最初は歌うことに楽しさを感じていたけど大学2回生の終わりごろから、
ステージのプロデュースに興味が湧いてきた。
ただ、大きな舞台ではなく、案外自分のバンドのみに関わる活動だったなと。
今思えばもっと他大学関わる大きな舞台の運営とかもやってみればよかったなと。
バイトとかお金の問題。あと自分はそこまで活動出来てないというちょっとした劣等感からか、
そうしたところに行けきれていなかった。若干の後悔。
ただ自分のバンド活動にはすごく熱心に動いた。
「こだわりMC」とかを複合的に組み合わせたこだわりのライブ。
かなり楽しかったなと思う。
責任のあるポジションはやっぱりやってきたんだけど、
小中高学生のころは結構「自分がやらないと」とか、勝手に責任を感じていたけど、
大学で神戸にでて、一人暮らしをはじめて
世界はいろんな人がいるってわかって、
自分が全部やらないとという感覚は少し弱まった。
良くも悪くもすこし落ち着いた。
周りを見れるようになった。
と、まぁ。
時系列で大学生活まで振り返ってみたけど、
根本は小中学生のときにすでに出来上がっていたみたい。
自分への責任感と周りへの責任感。
これですな。
自分に責任があると感じているからこそ、若干疲れてしまうことがある。
それは26年の人生でちょっとずつ寛容にはなっているけど、根底に根深く這っている。
次は社会人生活を振り返ろうと思います。
あぁ思考に疲れた(笑)