2016年11月12日土曜日

愛が強い


何かに対して愛が強すぎる、
何かに対して傾斜しすぎてる、

そんな人が苦手だ。

そこにはなぜか強要が入って来る。
暗黙の合意をなぜか押し付けられる。


愛が嫌いだ。



2016年5月17日火曜日

頑張る人

頑張る人が好き。

頑張りすぎて疲れてしまうぐらい頑張る人。
言い方を変えると自分を律することができる人。

自分自身のことは1番律しやすい。
自分が我慢するだけ。

なのに、出来ない人が多すぎる。

だから自分と同じレベルもしくはそれを超えるくらい頑張れる人じゃないと。
すごいなこの人くらいないと。

尊敬出来る人が良いって、、
そんなこと言うあなたを尊敬出来ない。

2016年5月16日月曜日

福岡に来た理由

なんだったっけ?
と思って考えた。

色々背景はあったにせよ、
一番は福岡のことを知りたかったから。

結局これにつきる。

18歳のとき大学で関西に行き、そこからほとんど福岡に帰らず関西、東京で暮らしてきた。

そんな中出身を言うと必ず「福岡って食べ物美味しいよねぇ」、とか「観光名所は?」とか聞かれてて、それにうまく答えられなかったことがずっとひっかかってた。

18歳までしかいないと、行動範囲がかなり限られていて、あと食べ物の味もそこまで意識してなかったから。

そんな思いからタイミング良く福岡にやってきた。

ただ、そんな福岡にこだわってるかというと正直そうでもない。
まだこっちきて1年も経ってないけど、だいぶわかってきた感がある。

とりあえずは語れるなみたいな笑

結局自分の言葉に信ぴょう性がないことを違和感として感じていただけみたい。

さて、次は何をしようかなぁ。
やっぱりアレだよな。

2016年4月25日月曜日

しっくりきてない理由

今仕事の行動にしっくりきていない理由。

責任感の希薄さ

これか。

自分の行動は全体に与える影響が低いと感じてしまってるから。

今まで(学生時代とか)は自分の行動がダイレクトに自分に影響を与えてきた。
例えば成績だったり。センスだったり。

それが見えなくなってる。
見えなくしてる。

大きい組織の中では、自分は自分に甘くなってしまう。

だから動きが遅くなったり、まぁいいかと思ってしまってる。

まずい。
こんなんじゃ今後何も出来なくなる。
意識を変える?それとも環境を変える?

両方だ。

2016年4月24日日曜日

師が欲しいと思う

なぜ?

最短のルートを知りたい

なぜ?

それが効率的

なぜ?

その人は経験をもっているから成功、失敗を経験し今に当てはめられる

なぜ?

成功も失敗もしたから

なぜ?

その人はきっと動いたから。

そぉ。
動いた人。それが師。
求めるな。俺がなるしかない。


失敗を怖がっている。
そりゃあ誰でもそうだ。
師が何でも教えてくれる。俺の失敗を限りなくゼロにしてくれるとか。。

結局何かをやることを怖がって、二の足を踏んでいるだけ。
師がほしいと甘えているだけ。

動け。聞け。知れ。そして動け。


2016年4月10日日曜日

好きなこと

好きなことは色々ある。

本を読む、歌歌う、昼寝する、運転する、散歩する、花見する、お酒飲む、ぼーっとする、とかいろいろ。

ただ、
例えば、本を読みたいと思うときもあれば、全く読みたくないときだってある。
例えば、お酒を飲みたいときもあれば全く飲みたくないときもある。

つまり自分は結局

“そのときやりたいことを、やりたい”
ってこと。
ただ、それはきっと多くの人がそうなんじゃないだろうか?
自分だけじゃないんじゃない?

定期的な趣味を持ってる人も
それをやりたいときは勿論多いだろうけど、今日はそんなやりたくないなってときもある。

今の世の中いろーんな価値観、選択肢に溢れている。
そして人間一個のことにずっとずっと集中出来るほど良くできてない。

だからこんないろんなことが見えちゃう世界で、少しばかりの自分の弱さも包み、
“今これやりたい”を
気楽な心で、穏やかな気持ちで、肩に力が入らずにいられるようサポート。

それが目指すイメージ。

2016年3月26日土曜日

脚注のない論文

感情と言葉を結びつけるのは、しっくりくるには、
とても、とても長い長い時間が要る。

一見出来合いの言葉も、ある人が自身の感情とどうにか結びつけ、しっくりきた言葉。

後世の自分達はある意味解答が用意されたよう。
言葉に感情をあてがって、感情を理解する、いや、伝えた気になる。

まるで脚注なしの論文のよう。

2016年2月13日土曜日

瞬間

歓喜

ライヴのトリ出演が決まったとき。

高校の体育祭。
体育祭のリレーで3位入賞。


失意

大学のときの彼女との当時の自分では理解ができなかった別れ


苦痛

高校受験。
帰りの車で泣いた。
なんて言えばいいんだという気持ち。


怒り

あの時から怒りの感情を意図的に持たないようになった。

2016年2月12日金曜日

好きになる人

細かいけど本質をとらえていると思う

自分の話を本当に興味持って聞いてくれる人。

「面白いこと言わないと」とか
「これ聞いても面白いって思わないだろう」とか
自分が思わない人。

自然に話しちゃう人。
その人自身がしゃべりたくなって話をさえぎったりしない。
絶妙な感覚で話させてくれる人。

それをなんというんだろう。

包容力でもない
なんというか

ばくっと言ってしまうと
“合う人”なんだろうけど

好奇心の強い人、
センスのある人、
人を好きな人、
空気を読める人、
そんな感覚を合わせった人。

そんな人なんだよな。

2016年2月10日水曜日

思ってくれている感

人の幸せがうんちゃらかんちゃら

とか言いきっちゃうとかじゃなく、
行動でそれがわかる人。
そんな人が本当にほしいしやっぱりなりたい。

自慢じゃなく、
その人のことを思って「こうしてみたら」と
自分の意見をスッと伝えられる人。

どこにもいやらしさや見栄が見えない、
ただただ純粋に伝えたい。
もっとよくなるなら惜しみなく伝える。

そんな人になりたいし、
そんな人が伝えてくれるような人になりたい。

人の幸せが自分の幸せ

言い切る人に少し違和感が。

この言葉にせよ、なんにせよ、
言い切る人に少しの違和感。

伝えるにはもちろん言い切ることが大事。
プレゼンとかでも「初めに結論を言って・・・」というし確かにそう。

ただ人間そこまでしっかりできていないんじゃない。いろんなところで。


2016年2月1日月曜日

理想のひと

絶妙なバランス感覚

何かを突き刺すしか役割がないような
そんな尖った針の上に
絶妙なバランス感覚で揺れているやじろべえのような人。

その人を掴みたくて手を伸ばすと、手を伸ばした際のわずかな風でくるりと向こうを向いてしまうような。

そんな絶妙さと隣り合わせの危うさ。

表情に出ている人。

普通の感じに飽きた。
飽きたというか合わないとやっぱり思った。
少しくらい崩れるようなことがあっても今の自分なら耐えられるのかもしれない。

2016年1月24日日曜日

危うさと嫉妬に愛情

あの人はそうだったのかもしれない。

ものすごくイメージが湧いてくる。
ただ、これ以上考えたくない。

生々しく温かさが残っている。

それは考え出すと自然と逆流してきて、
手の上に吐き出される。
きっと汚物なのに、、、嫌ではない。

2016年1月1日金曜日

起こる

自分の考えが固まりすぎて、
自分はこう思うから大丈夫。とか、
大丈夫じゃないとか判断をしすぎる。

側は自分と違う考えを持っていることも必ずあるだろうから、

人は人と違うってことは絶対。
でなければ、何も起きない。同意も喧嘩も戦争も、全てが。
何かが起こってるって感じられるのは起こってるって言葉として表現できた人間がいるから。
もし動物だけの世界では感覚的に似たものはあるのだけど、それは結局言葉にしてないから起こってるとはいえない。
何が言いたいかって、
何かが起きてるということは
人が違うっていう証拠にもなり、
且つ、人が違うからこそ
何かが起きている。

違い= ⇆ =起こる

相互に関係しつつイコールではないみたいな。




2015年12月13日日曜日

熱中

寝る間を惜しんで熱中したことは?

なんだろう。

小中学生のときは実は勉強だった。

テスト前は本当に夜遅くまでやってた。
結果としてテストは全て90点以上、中学3年のときは通信簿オール5。

ただ、高校受験は当日緊張しすぎて第一志望不合格。
経験が足りなかったなぁと。
田舎の中学すぎて(笑)、あと塾も田舎で(笑)、
ちょっとだけ都会の高校の重圧に耐えられなかった感じがする。

勉強する原動力はなんだったのか。

好奇心、負けたくない感は勿論あったけどそれだけじゃなかった。

やった分結果が出ることへの満足感と、
逆を言うとやらなければ結果が出ない恐怖感。

こっちが意外とメイン。

やったことへの結果のコミットメント感覚。
これが実は一番。

その中でもプラス的な満足感より、どちらかと言うとマイナス的な
「やらなければ結果が出ない」という恐怖感に縛られていた。

ただ、一件マイナスなようで、気持ちとしてはそんなにマイナス的な感覚はなく、
結構前向きにやっていた。

この根底にあるのは、
褒められたいとか、周りに勝ちたいという気持ちではなく、そうだ、
自分に全ての責任があるという感覚。

そっか、昔からこんなんだったんだ。

今でも結果は全て自分の責任と感じているところがある。
小さなときからそう感じていたようだ。

一旦図に起こしておく。

---<図>----------------------------
勉強に熱中
↓なぜ?
結果のコミットメント感覚に満足感と恐怖感
↓なぜそれを感じるの?
自分にすべての責任を置いている
-------------------------------------

この小中学生の時期は他にもいろいろと夢中になっていた。

小学生の文化祭では、劇の脚本を勝手に書いて先生に渡し、
実際に劇にした。

中学の文化祭では体育館のステージでウォーターボーイズをすることになり、
振り付けは自分で考えて監督を務めた。

小中ともに体育祭の応援団で団長、副団長になり、
振付、配置決め、指導などほぼ全て自分でとりしきった。

共通して言えることは、
責任のあるポジションにずっといたということ。

高校時代は?

正直、勉強はそこまで夢中でなくなった。
ただ共通して、応援団でしきりをしたり、学級委員長を歴任したり、
文化祭でも文化祭委員長になった。

ただ正直一番はまったのは恋愛(笑)

ここで性を知ってしまうと(笑)

歯止めが効かず、まっしぐら。
いろんなことに一喜一憂出来て、なんだか人間的な幅が広がったなと。

そして大学生。
初めてバイトしてお金をもらうようになる。

バイトに熱中ということは無いけど、
お金を稼げるという喜びは得られた。
そのおかげで洋服とか家具とか家電とか良いものを買えるようになり、センスが一気に上がった。

また、やっぱりアカペラ。
大学4年間はほぼアカペラに関わるライフサイクル。

最初は歌うことに楽しさを感じていたけど大学2回生の終わりごろから、
ステージのプロデュースに興味が湧いてきた。

ただ、大きな舞台ではなく、案外自分のバンドのみに関わる活動だったなと。
今思えばもっと他大学関わる大きな舞台の運営とかもやってみればよかったなと。

バイトとかお金の問題。あと自分はそこまで活動出来てないというちょっとした劣等感からか、
そうしたところに行けきれていなかった。若干の後悔。

ただ自分のバンド活動にはすごく熱心に動いた。
「こだわりMC」とかを複合的に組み合わせたこだわりのライブ。
かなり楽しかったなと思う。

責任のあるポジションはやっぱりやってきたんだけど、
小中高学生のころは結構「自分がやらないと」とか、勝手に責任を感じていたけど、

大学で神戸にでて、一人暮らしをはじめて
世界はいろんな人がいるってわかって、
自分が全部やらないとという感覚は少し弱まった。

良くも悪くもすこし落ち着いた。

周りを見れるようになった。


と、まぁ。

時系列で大学生活まで振り返ってみたけど、
根本は小中学生のときにすでに出来上がっていたみたい。

自分への責任感と周りへの責任感。

これですな。

自分に責任があると感じているからこそ、若干疲れてしまうことがある。
それは26年の人生でちょっとずつ寛容にはなっているけど、根底に根深く這っている。

次は社会人生活を振り返ろうと思います。
あぁ思考に疲れた(笑)

2015年11月29日日曜日

放棄

なんで俺じゃない感。

なんで俺俯瞰的を放棄してて、言ってしまえばやる気が薄くて。

おかしいなぁ。
もっと出来るはずなんだけど。

具体性がない。
お金がない。

ないない言ってばかり。

「ないものを嘆くよりあるものを〜」っていう歌の歌詞あったけど。

じゃあ、あるもの?
健康、地頭、センス、柔和さ

あると思っているからこそ、
なんで今何も出来てない感、出来てる人はいるだろうになんで俺じゃないの感ある。

何からすれば。。
誰か教えてっていう甘えもある。

2015年11月22日日曜日

被支配感

実家で暮らしていたとき、
中学生の途中くらいからとにかく息苦しくてたまらなかった。
高校生のときなんてもう本当出たくて出たくて。

夜遅くに帰ってなんか一言言われたり(遅くなったのは予備校で自主勉強してたからという自分の中では前向きな理由だったのに)
休日の朝「起きなさい」と起されたり。

ただ、お金もないし、知恵もないし、そこにいるしかないというのは分かっていた。
だから大学で1人暮らしで関西に出たとき、本当に気持ちが楽になった。
お金もバイト沢山してどうにか回るようになった。

結局思うのが、前の投稿に少し似てるけど、人というか、全てに支配されたくない気持ちが強いということ。

自分の理念とかそういうものが強くあるからどうしてもしっくりこないことが起きてしまう。

だったら1人でいれば?
いや、それはまた寂しい笑

好きな人と一緒にいたいし、仕事も自分1人じゃ限界があることは分かっている。
だから自分から環境を作っていかないと。
究極は自分のために。

サラリーマン

人の組織に入るとその組織の考え方、指針に染まる必要が出てくる。

正直体裁を整えることが得意だから表面的にそんな雰囲気を出すことはできる。

ただ、やっぱり限界を自分で感じる。

「違うな」感はどうしても。

いい社是や経営理念を伝えられても、自分の考えと全て共感出来るわけでもなく。

結論、自分が上になるしかない。
ずっと違和感を感じ続けてやっていけないから。

そのための本質を。

例えば自信のあること、最初から得意なことを列挙すれば何かしらのヒントになるかな。

1.言葉選び
2.気遣い
3.先手打ち
4.感情読み
5.スポーツ全般
6.味覚
7.センス
8.歌
9.指の綺麗さ
10.マインド(考え方)
11.地理感覚
12.人を面白くみせる
13.空気読み感覚

逆に不得意なこと
1.嘘つく(自分の気持ちに)
2.自分の話をする

今後のヒントに。

2015年11月15日日曜日

アウトプット

やりたいことはアウトプット。

表現者でありたい。
(表に現す者)

それはビジネスであれ音楽であれ文章であれ。自分の考えを奥からぐいっと出して伝える。

大学のときTwitterに色々投稿してたけど、あのときは本当に素直に自分の思ってることを“伝えよう”、“発信しよう”と思ってやってた。

ただ、
少し大人になってしまって、
なんか“悪く”落ち着いてしまって、
周りを見過ぎて素直なアウトプットが出来なくなってしまった。

本当はそれをやり続けることが自分のやりたいことなのに。。

『そこは俺の考えを表に出せる場所なのか』(場所)
『それをやることで俺の考えを表に出せるのか』(行動)

この二つを軸に表現者としてやっていくことを“今”決めた。

2015年8月2日日曜日

自信

自分が何かを極めすぎてしまうと、
きっと今以上に自分で判断を下してしまう。

今はある意味若さから、
自分の考えに間違いがあるかもしれない前提があり、
人の話を一旦全て取り入れるという素直な行為ができている。
ただ、ここに絶対的な実績から出る自信がくっつくと手に負えないところがでてくると思う。