2016年1月1日金曜日

起こる

自分の考えが固まりすぎて、
自分はこう思うから大丈夫。とか、
大丈夫じゃないとか判断をしすぎる。

側は自分と違う考えを持っていることも必ずあるだろうから、

人は人と違うってことは絶対。
でなければ、何も起きない。同意も喧嘩も戦争も、全てが。
何かが起こってるって感じられるのは起こってるって言葉として表現できた人間がいるから。
もし動物だけの世界では感覚的に似たものはあるのだけど、それは結局言葉にしてないから起こってるとはいえない。
何が言いたいかって、
何かが起きてるということは
人が違うっていう証拠にもなり、
且つ、人が違うからこそ
何かが起きている。

違い= ⇆ =起こる

相互に関係しつつイコールではないみたいな。




2015年12月13日日曜日

熱中

寝る間を惜しんで熱中したことは?

なんだろう。

小中学生のときは実は勉強だった。

テスト前は本当に夜遅くまでやってた。
結果としてテストは全て90点以上、中学3年のときは通信簿オール5。

ただ、高校受験は当日緊張しすぎて第一志望不合格。
経験が足りなかったなぁと。
田舎の中学すぎて(笑)、あと塾も田舎で(笑)、
ちょっとだけ都会の高校の重圧に耐えられなかった感じがする。

勉強する原動力はなんだったのか。

好奇心、負けたくない感は勿論あったけどそれだけじゃなかった。

やった分結果が出ることへの満足感と、
逆を言うとやらなければ結果が出ない恐怖感。

こっちが意外とメイン。

やったことへの結果のコミットメント感覚。
これが実は一番。

その中でもプラス的な満足感より、どちらかと言うとマイナス的な
「やらなければ結果が出ない」という恐怖感に縛られていた。

ただ、一件マイナスなようで、気持ちとしてはそんなにマイナス的な感覚はなく、
結構前向きにやっていた。

この根底にあるのは、
褒められたいとか、周りに勝ちたいという気持ちではなく、そうだ、
自分に全ての責任があるという感覚。

そっか、昔からこんなんだったんだ。

今でも結果は全て自分の責任と感じているところがある。
小さなときからそう感じていたようだ。

一旦図に起こしておく。

---<図>----------------------------
勉強に熱中
↓なぜ?
結果のコミットメント感覚に満足感と恐怖感
↓なぜそれを感じるの?
自分にすべての責任を置いている
-------------------------------------

この小中学生の時期は他にもいろいろと夢中になっていた。

小学生の文化祭では、劇の脚本を勝手に書いて先生に渡し、
実際に劇にした。

中学の文化祭では体育館のステージでウォーターボーイズをすることになり、
振り付けは自分で考えて監督を務めた。

小中ともに体育祭の応援団で団長、副団長になり、
振付、配置決め、指導などほぼ全て自分でとりしきった。

共通して言えることは、
責任のあるポジションにずっといたということ。

高校時代は?

正直、勉強はそこまで夢中でなくなった。
ただ共通して、応援団でしきりをしたり、学級委員長を歴任したり、
文化祭でも文化祭委員長になった。

ただ正直一番はまったのは恋愛(笑)

ここで性を知ってしまうと(笑)

歯止めが効かず、まっしぐら。
いろんなことに一喜一憂出来て、なんだか人間的な幅が広がったなと。

そして大学生。
初めてバイトしてお金をもらうようになる。

バイトに熱中ということは無いけど、
お金を稼げるという喜びは得られた。
そのおかげで洋服とか家具とか家電とか良いものを買えるようになり、センスが一気に上がった。

また、やっぱりアカペラ。
大学4年間はほぼアカペラに関わるライフサイクル。

最初は歌うことに楽しさを感じていたけど大学2回生の終わりごろから、
ステージのプロデュースに興味が湧いてきた。

ただ、大きな舞台ではなく、案外自分のバンドのみに関わる活動だったなと。
今思えばもっと他大学関わる大きな舞台の運営とかもやってみればよかったなと。

バイトとかお金の問題。あと自分はそこまで活動出来てないというちょっとした劣等感からか、
そうしたところに行けきれていなかった。若干の後悔。

ただ自分のバンド活動にはすごく熱心に動いた。
「こだわりMC」とかを複合的に組み合わせたこだわりのライブ。
かなり楽しかったなと思う。

責任のあるポジションはやっぱりやってきたんだけど、
小中高学生のころは結構「自分がやらないと」とか、勝手に責任を感じていたけど、

大学で神戸にでて、一人暮らしをはじめて
世界はいろんな人がいるってわかって、
自分が全部やらないとという感覚は少し弱まった。

良くも悪くもすこし落ち着いた。

周りを見れるようになった。


と、まぁ。

時系列で大学生活まで振り返ってみたけど、
根本は小中学生のときにすでに出来上がっていたみたい。

自分への責任感と周りへの責任感。

これですな。

自分に責任があると感じているからこそ、若干疲れてしまうことがある。
それは26年の人生でちょっとずつ寛容にはなっているけど、根底に根深く這っている。

次は社会人生活を振り返ろうと思います。
あぁ思考に疲れた(笑)

2015年11月29日日曜日

放棄

なんで俺じゃない感。

なんで俺俯瞰的を放棄してて、言ってしまえばやる気が薄くて。

おかしいなぁ。
もっと出来るはずなんだけど。

具体性がない。
お金がない。

ないない言ってばかり。

「ないものを嘆くよりあるものを〜」っていう歌の歌詞あったけど。

じゃあ、あるもの?
健康、地頭、センス、柔和さ

あると思っているからこそ、
なんで今何も出来てない感、出来てる人はいるだろうになんで俺じゃないの感ある。

何からすれば。。
誰か教えてっていう甘えもある。

2015年11月22日日曜日

被支配感

実家で暮らしていたとき、
中学生の途中くらいからとにかく息苦しくてたまらなかった。
高校生のときなんてもう本当出たくて出たくて。

夜遅くに帰ってなんか一言言われたり(遅くなったのは予備校で自主勉強してたからという自分の中では前向きな理由だったのに)
休日の朝「起きなさい」と起されたり。

ただ、お金もないし、知恵もないし、そこにいるしかないというのは分かっていた。
だから大学で1人暮らしで関西に出たとき、本当に気持ちが楽になった。
お金もバイト沢山してどうにか回るようになった。

結局思うのが、前の投稿に少し似てるけど、人というか、全てに支配されたくない気持ちが強いということ。

自分の理念とかそういうものが強くあるからどうしてもしっくりこないことが起きてしまう。

だったら1人でいれば?
いや、それはまた寂しい笑

好きな人と一緒にいたいし、仕事も自分1人じゃ限界があることは分かっている。
だから自分から環境を作っていかないと。
究極は自分のために。

サラリーマン

人の組織に入るとその組織の考え方、指針に染まる必要が出てくる。

正直体裁を整えることが得意だから表面的にそんな雰囲気を出すことはできる。

ただ、やっぱり限界を自分で感じる。

「違うな」感はどうしても。

いい社是や経営理念を伝えられても、自分の考えと全て共感出来るわけでもなく。

結論、自分が上になるしかない。
ずっと違和感を感じ続けてやっていけないから。

そのための本質を。

例えば自信のあること、最初から得意なことを列挙すれば何かしらのヒントになるかな。

1.言葉選び
2.気遣い
3.先手打ち
4.感情読み
5.スポーツ全般
6.味覚
7.センス
8.歌
9.指の綺麗さ
10.マインド(考え方)
11.地理感覚
12.人を面白くみせる
13.空気読み感覚

逆に不得意なこと
1.嘘つく(自分の気持ちに)
2.自分の話をする

今後のヒントに。

2015年11月15日日曜日

アウトプット

やりたいことはアウトプット。

表現者でありたい。
(表に現す者)

それはビジネスであれ音楽であれ文章であれ。自分の考えを奥からぐいっと出して伝える。

大学のときTwitterに色々投稿してたけど、あのときは本当に素直に自分の思ってることを“伝えよう”、“発信しよう”と思ってやってた。

ただ、
少し大人になってしまって、
なんか“悪く”落ち着いてしまって、
周りを見過ぎて素直なアウトプットが出来なくなってしまった。

本当はそれをやり続けることが自分のやりたいことなのに。。

『そこは俺の考えを表に出せる場所なのか』(場所)
『それをやることで俺の考えを表に出せるのか』(行動)

この二つを軸に表現者としてやっていくことを“今”決めた。

2015年8月2日日曜日

自信

自分が何かを極めすぎてしまうと、
きっと今以上に自分で判断を下してしまう。

今はある意味若さから、
自分の考えに間違いがあるかもしれない前提があり、
人の話を一旦全て取り入れるという素直な行為ができている。
ただ、ここに絶対的な実績から出る自信がくっつくと手に負えないところがでてくると思う。