2016年2月12日金曜日

好きになる人

細かいけど本質をとらえていると思う

自分の話を本当に興味持って聞いてくれる人。

「面白いこと言わないと」とか
「これ聞いても面白いって思わないだろう」とか
自分が思わない人。

自然に話しちゃう人。
その人自身がしゃべりたくなって話をさえぎったりしない。
絶妙な感覚で話させてくれる人。

それをなんというんだろう。

包容力でもない
なんというか

ばくっと言ってしまうと
“合う人”なんだろうけど

好奇心の強い人、
センスのある人、
人を好きな人、
空気を読める人、
そんな感覚を合わせった人。

そんな人なんだよな。

2016年2月10日水曜日

思ってくれている感

人の幸せがうんちゃらかんちゃら

とか言いきっちゃうとかじゃなく、
行動でそれがわかる人。
そんな人が本当にほしいしやっぱりなりたい。

自慢じゃなく、
その人のことを思って「こうしてみたら」と
自分の意見をスッと伝えられる人。

どこにもいやらしさや見栄が見えない、
ただただ純粋に伝えたい。
もっとよくなるなら惜しみなく伝える。

そんな人になりたいし、
そんな人が伝えてくれるような人になりたい。

人の幸せが自分の幸せ

言い切る人に少し違和感が。

この言葉にせよ、なんにせよ、
言い切る人に少しの違和感。

伝えるにはもちろん言い切ることが大事。
プレゼンとかでも「初めに結論を言って・・・」というし確かにそう。

ただ人間そこまでしっかりできていないんじゃない。いろんなところで。


2016年2月1日月曜日

理想のひと

絶妙なバランス感覚

何かを突き刺すしか役割がないような
そんな尖った針の上に
絶妙なバランス感覚で揺れているやじろべえのような人。

その人を掴みたくて手を伸ばすと、手を伸ばした際のわずかな風でくるりと向こうを向いてしまうような。

そんな絶妙さと隣り合わせの危うさ。

表情に出ている人。

普通の感じに飽きた。
飽きたというか合わないとやっぱり思った。
少しくらい崩れるようなことがあっても今の自分なら耐えられるのかもしれない。

2016年1月24日日曜日

危うさと嫉妬に愛情

あの人はそうだったのかもしれない。

ものすごくイメージが湧いてくる。
ただ、これ以上考えたくない。

生々しく温かさが残っている。

それは考え出すと自然と逆流してきて、
手の上に吐き出される。
きっと汚物なのに、、、嫌ではない。

2016年1月1日金曜日

起こる

自分の考えが固まりすぎて、
自分はこう思うから大丈夫。とか、
大丈夫じゃないとか判断をしすぎる。

側は自分と違う考えを持っていることも必ずあるだろうから、

人は人と違うってことは絶対。
でなければ、何も起きない。同意も喧嘩も戦争も、全てが。
何かが起こってるって感じられるのは起こってるって言葉として表現できた人間がいるから。
もし動物だけの世界では感覚的に似たものはあるのだけど、それは結局言葉にしてないから起こってるとはいえない。
何が言いたいかって、
何かが起きてるということは
人が違うっていう証拠にもなり、
且つ、人が違うからこそ
何かが起きている。

違い= ⇆ =起こる

相互に関係しつつイコールではないみたいな。




2015年12月13日日曜日

熱中

寝る間を惜しんで熱中したことは?

なんだろう。

小中学生のときは実は勉強だった。

テスト前は本当に夜遅くまでやってた。
結果としてテストは全て90点以上、中学3年のときは通信簿オール5。

ただ、高校受験は当日緊張しすぎて第一志望不合格。
経験が足りなかったなぁと。
田舎の中学すぎて(笑)、あと塾も田舎で(笑)、
ちょっとだけ都会の高校の重圧に耐えられなかった感じがする。

勉強する原動力はなんだったのか。

好奇心、負けたくない感は勿論あったけどそれだけじゃなかった。

やった分結果が出ることへの満足感と、
逆を言うとやらなければ結果が出ない恐怖感。

こっちが意外とメイン。

やったことへの結果のコミットメント感覚。
これが実は一番。

その中でもプラス的な満足感より、どちらかと言うとマイナス的な
「やらなければ結果が出ない」という恐怖感に縛られていた。

ただ、一件マイナスなようで、気持ちとしてはそんなにマイナス的な感覚はなく、
結構前向きにやっていた。

この根底にあるのは、
褒められたいとか、周りに勝ちたいという気持ちではなく、そうだ、
自分に全ての責任があるという感覚。

そっか、昔からこんなんだったんだ。

今でも結果は全て自分の責任と感じているところがある。
小さなときからそう感じていたようだ。

一旦図に起こしておく。

---<図>----------------------------
勉強に熱中
↓なぜ?
結果のコミットメント感覚に満足感と恐怖感
↓なぜそれを感じるの?
自分にすべての責任を置いている
-------------------------------------

この小中学生の時期は他にもいろいろと夢中になっていた。

小学生の文化祭では、劇の脚本を勝手に書いて先生に渡し、
実際に劇にした。

中学の文化祭では体育館のステージでウォーターボーイズをすることになり、
振り付けは自分で考えて監督を務めた。

小中ともに体育祭の応援団で団長、副団長になり、
振付、配置決め、指導などほぼ全て自分でとりしきった。

共通して言えることは、
責任のあるポジションにずっといたということ。

高校時代は?

正直、勉強はそこまで夢中でなくなった。
ただ共通して、応援団でしきりをしたり、学級委員長を歴任したり、
文化祭でも文化祭委員長になった。

ただ正直一番はまったのは恋愛(笑)

ここで性を知ってしまうと(笑)

歯止めが効かず、まっしぐら。
いろんなことに一喜一憂出来て、なんだか人間的な幅が広がったなと。

そして大学生。
初めてバイトしてお金をもらうようになる。

バイトに熱中ということは無いけど、
お金を稼げるという喜びは得られた。
そのおかげで洋服とか家具とか家電とか良いものを買えるようになり、センスが一気に上がった。

また、やっぱりアカペラ。
大学4年間はほぼアカペラに関わるライフサイクル。

最初は歌うことに楽しさを感じていたけど大学2回生の終わりごろから、
ステージのプロデュースに興味が湧いてきた。

ただ、大きな舞台ではなく、案外自分のバンドのみに関わる活動だったなと。
今思えばもっと他大学関わる大きな舞台の運営とかもやってみればよかったなと。

バイトとかお金の問題。あと自分はそこまで活動出来てないというちょっとした劣等感からか、
そうしたところに行けきれていなかった。若干の後悔。

ただ自分のバンド活動にはすごく熱心に動いた。
「こだわりMC」とかを複合的に組み合わせたこだわりのライブ。
かなり楽しかったなと思う。

責任のあるポジションはやっぱりやってきたんだけど、
小中高学生のころは結構「自分がやらないと」とか、勝手に責任を感じていたけど、

大学で神戸にでて、一人暮らしをはじめて
世界はいろんな人がいるってわかって、
自分が全部やらないとという感覚は少し弱まった。

良くも悪くもすこし落ち着いた。

周りを見れるようになった。


と、まぁ。

時系列で大学生活まで振り返ってみたけど、
根本は小中学生のときにすでに出来上がっていたみたい。

自分への責任感と周りへの責任感。

これですな。

自分に責任があると感じているからこそ、若干疲れてしまうことがある。
それは26年の人生でちょっとずつ寛容にはなっているけど、根底に根深く這っている。

次は社会人生活を振り返ろうと思います。
あぁ思考に疲れた(笑)